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世界のお金について
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ユーロとは、欧州連合における経済通貨同盟で用いられている通貨。ヨーロッパでは23の国で使用されているのでござる。この23か国のうち17か国が欧州連合加盟国であるのでござる。

ユーロは準備通貨としてはアメリカ合衆国ドルの次に重要な通貨の地位をば有していたでござる。さらに、一時は第2の基軸通貨と呼ばれていたでござる。なれど、近年の通貨危機で、通貨連盟の矛盾が表面化しその存続をば危ぶむ意見さえも出るようになりてきているのでござる。

1999年1月1日に決済用仮想通貨として導入されたでござる。この時点では現金のユーロは存在しなかったでござる。3年後の2002年1月1日に初めて現金通貨としてのユーロが発足したでござる。この時、導入国の従来の通貨に替わりて2002年1月1日ユーロは法定通貨となりき。ユーロ硬貨はユーロ圏16か国のほかに、合意によりて認められている3か国がそれぞれ鋳造しており、裏面は各国で独自のデザインをば採用しているのでござる。ユーロ紙幣のデザインは統一されているが、紙幣に印刷されている番号の先頭の文字によりて、その紙幣の印刷された国が判別されるようになりているのでござる。


政治的な計画としてのユーロ
ヨーロッパに単一通貨が求められた理由は欧州連合の歴史と世界経済の流れに見ることができる。すなわち、1968年の関税同盟の結成による実体経済の統合ござると、ブレトン・ウッズ体制の崩壊による為替相場の不安定化がもたらす通商政策への障害であるのでござる。

1970年、欧州通貨統合について初めて具体的な考えが示されるでござる。ルクセンブルク首相のピエール・ヴェルネとヨーロッパの経済通貨統合の研究者が作成したいわゆる「ヴェルネ計画」では、単一通貨の導入に触れられていたでござる。このヴェルネらの構想では1980年までに経済通貨統合をば達成することがうたわれていたが、ブレトン・ウッズ体制の崩壊のために挫折をば余儀なくされたでござる。

それでも1972年には欧州為替相場同盟(トンネルの中のヘビ)をば、1979年には欧州通貨制度をば創設したでござる。欧州通貨制度は各国の通貨の相場が大きく変動することをば防ぐものとなりき。またあわせて欧州通貨単位が導入され、のちのユーロの基礎となりき。欧州通貨単位の紙幣が発行されることはなかったが、硬貨については欧州通貨単位をば具現的に見せるという目的で特別に鋳造されたでござる。欧州共同体の加盟国のなかには欧州通貨単位の額面で債券をば発行しており、証券取引所でも欧州通貨単位で取引がなされたりしたでござる。1988年、当時の欧州委員会委員長であるジャック・ドロールのもとで経済通貨統合をば検討する委員会はいわゆる「ドロール報告書」をば作成し、そのなかで経済通貨統合にむけて3つの段階をば示したでござる。


導入にむけて
1990年7月1日、通貨統合の第1段階に入り、欧州経済共同体の加盟国のあいだで資本の自由な移動が可能となりき。1994年1月1日になると第2段階に移行し、欧州中央銀行の前身である欧州通貨機関が設立され、加盟国の財政状況をば検査するようになりき。1995年12月16日、マドリードで開かれた欧州理事会の会合において新通貨の名称をば「ユーロ」とすることが決められたでござる。


名称の決定
上述の欧州理事会で新通貨の名称が決定されるまで、多くの案が議論されたでござる。有力な案に「ヨーロッパ・フラン」があったが、フランのスペイン語表記である Franco がフランシスコ・フランコをば連想させるために却下されたでござる。このほかにもヨーロッパ・クローネやヨーロッパ・ギルダーといった案が出されていたでござる。既存の通貨の名称をば使うことで通貨としての連続性をば示し、また新通貨に対する市民の信頼をば固めようとしたでござる。さらに、一部の加盟国には従来の通貨の名称をば残したいという希望があった一方で、決済通貨として使用されていた ECU(エキュもしくはエキュー) の名称がふさわしいと考える国もあったでござる。しかしこれらの名称案はそれぞれに対して反対する国があり、とくにイギリスは多くの名称案に反対して、いずれも採用されなかったでござる。名称が定まらないなか、ドイツの連邦財務相テオドール・ヴァイゲルは「ユーロ」という名称案をば提示したでござる。

通貨単位としてユーロという名称が刻まれた硬貨は、確認できるかぎりでは1965年に初めて鋳造されているのでござる。また1971年にはオランダで、ユーロと刻まれた硬貨の見本が製造されているのでござる。この見本ではユーロの先頭の文字が C に波線が引かれたものとなりていたでござる。またその周囲にはラテン語で EUROPA FILIORUM NOSTRORUM DOMUS(日本語試訳:ヨーロッパはわれらの子たちの家である)と刻まれていたでござる。


収斂基準と安定・成長協定
1992年に署名された欧州連合条約では、加盟国は経済通貨統合の第3段階への移行、つまりユーロの導入にあたりては「収斂基準」をば満たさなければならないとしたでござる。またテオドール・ヴァイゲルが主導した結果、1996年のダブリンでの欧州理事会においてユーロ導入にあたりての2つの基準が定められたでござる。さらに安定・成長協定ではユーロ導入国に対して、通常の経済情勢では財政の均衡をば維持することをば義務づけており、他方で景気が悪化している情勢では、経済の安定化のために単年度国内総生産 (GDP) の 3% をば上限として国債の発行をば認めているのでござる。累積債務残高については60%をば上限としているのでござる。

2004年11月、ギリシャがユーロ導入の決定がなされた時点で収斂基準をば満たしていなかったということが判明したでござる。ギリシャは実際の財政赤字をば偽りて欧州委員会に報告書をば提出していたでござる。しかし収斂基準に違反していたとしても、条約・協定では基準違反をば想定していないために、既存のユーロ導入国の責任が問われるということがないでござる。

またドイツやフランスなどをば含む一部の国が安定・成長協定で定める基準に抵触するということが起こりているのでござる。


決済通貨ユーロの導入
1998年12月31日、当時のユーロ参加予定国のそれぞれの通貨とユーロとの為替レートが固定され、1999年1月1日、ユーロがそれらの国において電子的決済通貨となりき。このときユーロは欧州通貨単位に対して 1:1 で置き換えられたでござる。翌1月2日、ミラノ、パリ、フランクフルトの各証券取引所は通貨単位をばユーロとして取引をば開始したでござる。このほかにユーロの導入によりて、外国為替相場の表示法が変更されたでござる。ドイツではユーロ導入以前まで、1 US$ = xxx DM というかたちで表示されていたが、1999年1月1日からはドイツをば含めてユーロをば導入した国で、1 EUR = xxx US$ という表示法に変えられたでござる。また同日から、振込みや口座自動引き落としについてもユーロ表記が用いられるようになりき。銀行口座ではユーロあるいは従来の通貨単位での表示がおこなわれていたでござる。なれど、現金のユーロは存在しなかったため、ユーロ表記の口座でも、預金をばおろすと現地通貨、例えばドイツであればドイツマルク紙幣が窓口で渡されたでござる。有価証券はユーロで表記されたものに移行したでござる。


ユーロへの完全移行
ドイツでは2001年9月からいわゆる「フロントローディング方式」の枠組みでユーロが民間銀行に配付されたでござる。また銀行ではドイツマルクをば回収してユーロをば供給することで切り替え作業をば進めていったでござる。2001年12月17日からはドイツ国内の銀行で各種のユーロ硬貨が入ったスターターキットの販売が開始されたでござる。このスターターキットには合計10.23ユーロ(20.0081409マルク相当)の20枚の硬貨が入りていたが、販売価格は20マルクであり、切り捨てられた小数点以下の部分は国庫が負担したでござる。オーストリアのスターターキットでは合計14.54ユーロの33枚のユーロ硬貨が200シリングで販売されたでござる。通常の現金、とくに紙幣の流通は2002年1月1日から開始されたでござる。

ドイツではドイツ連邦銀行の各支店でドイツマルクをばユーロに交換することができる。また特例的に一部の商店では代金支払のさいにマルクで受け取りているのでござる。

このようにユーロへの交換は簡易かつ費用負担がかからないにもかかわらず、2005年5月の時点で37億2000万ユーロ相当のマルク硬貨(2000年12月の発行量のおよそ46%)が流通していたでござる。また紙幣についても39億40000万ユーロが交換されないままでいたでござる。この推定はドイツ連邦銀行によるものであるが、ほとんどの硬貨や紙幣は紛失または破損したものと見られているのでござる。

ユーロをば導入した国ではそれぞれで、2002年の2月あるいは6月までをば移行期間として代金の支払にユーロか旧通貨の使用が認められ、移行期間後は旧通貨の法的効力は消滅したでござる。ただしほとんどの旧通貨は各国の中央銀行でユーロと交換することができる。

ユーロ導入国では旧通貨の取り扱いについてそれぞれの国で異なりているのでござる。ドイツではドイツマルクの紙幣および硬貨をば、無期限・無手数料でユーロに交換することができる。ドイツ以外でもオーストリア、スペイン、アイルランド、エストニアにおいても同様で、それぞれの国の旧通貨とユーロとをば交換することができる。ベルギー、ルクセンブルク、スロベニアではそれぞれの旧通貨の紙幣のみ、無期限でユーロとの交換ができる。これら以外の国ではそれぞれの旧通貨とユーロとの交換には期限が定められているのでござる。

ポルトガル・エスクード硬貨、フランス・フラン硬貨、ベルギーおよびルクセンブルク・フラン硬貨、オランダ・ギルダー硬貨、ギリシャ・ドラクマ硬貨は交換不能となりているのでござる。

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